みんなde読書

慶河堂の読書感想ブログプロジェクト【みんなde読書】のサイトです。

総合目次

【ご挨拶】

はじめまして。ならまちの隅っこにある古本主体本屋【慶河堂】店長の慶と申します。こちらは、慶河堂が主宰いたします、複数の執筆者による本の感想・オススメブログです。

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いち読書好きによる趣味のサイトです。営業妨害・名誉毀損・著作権侵害などの意図はございません。
こちら記載の記事に関連して、何か不都合な点がございましたら、慶のメールアドレス(keigadou@gmail.com)までメールをいただけますようお願いいたします。
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【更新履歴】NEW!!

20230204:慶の執筆記事『ホロコースト 最年少生存者たち』をupしました。
20220320:執筆者紹介に、PlanetHandのやしまさんの記事を書きました。やしまさんの執筆記事『ハンカチの上の花畑』をupしました。
20220108:慶の執筆記事『父ガルシア=マルケスの思い出』をupしました。
20211030:mArさんの執筆記事『おばあちゃん、青い自転車で世界に出逢う』をupしました。
20210828:mArさんの執筆記事『光草 ストラリスコ』をupしました。
20210810:慶の執筆記事『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』をupしました。
20210701:mArさんの執筆記事『夢見る人』をupしました。
20210622:慶の執筆記事『エルサレム』をupしました。
20210529:mArさんの執筆記事『海にはワニがいる』をupしました。
20210330:mArさんの執筆記事『アドリブ』をupしました。
20210319:慶の執筆記事『クララとお日さま』をupしました。
20210227:mArさんの執筆記事『ピトゥスの動物園』をupしました。
20210128:mArさんの執筆記事『その時は殺され…』をupしました。
20210101:あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
20201227:mArさんの執筆記事『きらめく共和国』をupしました。
20201126:mArさんの執筆記事『つくられた心』をupしました。
20201119:慶の執筆記事『元女子高生、パパになる』をupしました。
20201015:mArさんの執筆記事『帰れない山』をupしました。
20200930:ささげ豆さんの執筆記事『山のパンセ』をupしました。
20200917:mArさんの執筆記事『キャンバス』をupしました。
20200906:執筆者紹介に三味線ひょっとこ/ささげ豆さんの記事をupしました。ささげ豆さんの執筆記事「ある風来猫の短い生涯について」をupしました。
20200903:ささげ豆さんの執筆記事『丁寧な暮らしをする餓鬼』をupしました。
20200820:慶の執筆記事『彼女たちの部屋』をupしました。
20200819:慶の執筆記事『漱石先生』をupしました。
20200818:mArさんの執筆記事『ペンギンの憂鬱』をupしました。
20200727:慶の執筆記事『ありがとうを言えなくて』『阿・吽』をupしました。
20200715:mArさんの執筆記事『カモメに飛ぶことを教えた猫』をupしました。
20200703:慶の執筆記事『漱石・子規往復書簡集』をupしました。
20200701:慶の執筆記事『テクストとしての都市 DF』をupしました。
20200628:慶の執筆記事『レスリー・チャンの香港』をupしました。
20200627:慶の執筆記事『あなたのための物語』をupしました。
20200625:mArさんの執筆記事『くろはおうさま』をupしました。
20200621:執筆者紹介の慶河堂/慶の記事を書き直しました。
20200621:mArさんの執筆記事"¿Helado de papas?"をupしました。
20200619:慶の執筆記事『カイニスの金の鳥』をupしました。
20200618:mArさんの執筆記事『ペドロの作文』をupしました。
20200617:慶の執筆記事『あの本は読まれているか』をupしました。
20200611:執筆者紹介にBarchetta Barquito/mArさんの記事をupしました。
20200523:執筆者紹介に慶河堂/慶の記事をupしました。
20200516:【みんなde読書】を立ち上げました。【みんなde読書】はじめにをupしました

本当の苦しみは——『ホロコースト 最年少生存者たち』レベッカ・クリフォード

2020年にコロナ禍に対峙しようとしてご協力を得て始めた【みんなde読書】ですが、私自身の怠慢により、昨年は2記事しかあげられませんで、申し訳ございませんでした。
感想記事をあげたいと思う本をきっちり読むという作業もサボっていたので、本当に申し訳ない…。

というわけで、2023年1本目はレベッカ・クリフォード『ホロコースト最年少生存者たち』(柏書房)です。

「本当の闘いは1945年に始まった」という帯の惹句がまず気になった。
ホロコーストは第二次世界大戦下でナチ党によって行われた主にユダヤ人を対象とした絶滅政策・大量虐殺を指す。収容所に収容されていたかれらは生き延び、戦後は幸せに暮らしたのではないか……という、勝手な物語が頭にあった。
この本が主に主題とするのは、終戦時10歳以下だったユダヤ人の子どもたちの人生である。
戦争中かれらがどのような目にあったかということにはほとんど詳らかにされず、主眼がおかれていない。なんと、かれらはそのときのことを「記憶」していないことの方が多いのだそうだ。
収容所や里子に出された家庭で苦労に満ちた生活を送っていた子どもたちが、戦争終結により、生き別れになっていた家族や親戚と再会し、「幸せな」人生を歩んだ。めでたし、めでたし。というのが、ホロコーストについて私を含めこれまで一般的な知識しか持ってこなかった読者の理解だと思う。
この書はそんな生ぬるい物語こそが、子どもたちを苦しめてきたのだと告げる。

子どもたちの多くは強制収容所や里子に出された先で、困難に満ちた生活を過ごしていた。だが、かれらの多くは語るほどの収容所での記憶を持たない、もしくは忘れてしまっているのだという。それほどにかれらは幼く、力を持たなかった。
人は同じ境遇であった人や知り合いと話すことで記憶を定着させ、認識し、語ることなどで過去の辛い過去を乗りこえる。かれらは戦後何も知らない養い親や辛い目にあった実の親と暮らしたが、家庭の中で体験について語ることを暗黙のうちに禁じられ、その定着ができなかった。
もしくは人に聞かれて語るうちに事実ではないことを自らの記憶として固着させてしまう者も多かったらしい。自分自身の名前すらあやふやになってしまった者もいるそうだ。
名前と育ってきた環境はそのまま、子どものアイデンティティにつながる。
カトリック家庭に養われていた子どもは比較的平穏な人生を養い親と一緒に暮らしていたが、生き延びたユダヤ人家族のもとに返され、名前も変えられていたものだと知り、カトリックからユダヤ教への改宗を親によって求められ、アイデンティティの揺らぎや崩壊を体験した者も多いという。違う2つ(やそれ以上)の文化に引き裂かれ、言語的にも困難を経験した。
防衛本能として、辛い記憶を封印したケースも多かったと思われる。
また、医療体制・支援団体などによる態度が時代によって変わったこともかれらを苦しめた。
人々の、語るよう、もしくは語らぬようとさせる無意識の期待や押しつけが、かれらを混乱させた。年を経て自らの体験を語りたいと思っても、既存の支援団体は主に成人生存者を対象としていることが多く、かれらを定義する言葉すらもなかったのだという。
迫害のもと行われた身体的暴力と同じくらいの心的な暴力が行われ、かれらは苦しんできた。

印象に残ったフレーズのひとつが「(辛く苦しかった人生が)ハッピーエンドに終わったと思われたい」という言葉である。
これは現代の私たちにも当てはまる心の動きだろう。
過去がどんなに困難なものであっても、あるいは困難なものであればあるほど、今は幸せに生きていると思われたい、思いたい心持ちは我々にもある。これは当事者の希望でもあり、かれらと接してきた支援者・医療者たちの自分たちのしていることは間違っていない、間違っていなかったという無意識な期待が、そういう「語り」を求めてしまうのだろう。
そんな、一種の「感動ポルノ」を求めるかのような人々の態度が、かれらを苦しめてきた。
私は、前を通る予定ではあったが、立ち寄るつもりではなかった書店でこの本を目にして、手に取った。
何故か読まねばならないという気持ちが動いたが、私自身がそういう暴力的な希望を持っていなかったというと嘘になる。

最後に、大戦中・戦後に起こった辛い出来事の中で、一番辛かったことは配偶者を亡くしたことだと語る女性が出てくる。配偶者を亡くすという、ほぼ誰にでも訪れる、ありふれた出来事が一番辛かったと語ったということは、彼女はけして特別な人ではなかったのだということだ。これは彼女を苦しめた苦労や困難を矮小化するつもりでいうのではない。
耐えがたいホロコーストに苦しんた彼女でも、一番哀しいのは配偶者を亡くすというありふれたことであり、それは彼女自身がいつも特別であり、同時に特別な——他の誰かと際だって違う——存在ではないということを示している。
彼女は我々と少しも違いはしない。医師やカウンセラーのモルモットでもなければ、いつまでも過去に囚われ続ける放置された子どもなのではない。普通の人生を送り、普通に死ぬ、そんなことを願う、普通の人々なのだ。
ただ、ホロコーストそれ自体よりも、その後の回りの人々のかれらを扱う手の方が、酷く暴力的であったことが、多くの子どもたちがこちらを見つめる目からわかる。
あなたの望む「ストーリー」でなくてごめんね。そう物憂げに話す子どもたちが見えるような気がした。

この本の声が聞こえたから、私はこの本を買って読み終えた。読むまえと読んだあと、少しだけ私は変わった。私自身の好奇と暴力に満ちた眼差しを人に対して向けることの愚に多少なりとも気づけた。
それこそがこの本の価値なのだろう。
けして気持ちのいい本ではない。だが読むべき本だと感じた。