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『海にはワニがいる』ファビオ・ジェーダ/訳:飯田亮介

 何年か前に図書館で表紙の絵に惹かれてたまたま手に取った。私にとっては絵本だけじゃなくて一般小説も、表紙の絵によって、まず手に取るかどうかを大きく左右する。もちろんタイトルも気になった。そして、これから紹介するとっても興味深い内容で、私にとって大切な本の一つになった。読み終わって図書館に返却したあと、どうしても手元に置いておきたい本なので購入した。既に古書でしか手に入らなかった。こんなに内容も装幀もいい本なのになあ……多くの人に読んでもらいたいと思う。

 アフガニスタンの少年 エナヤットッラー・アクバリが、ひとりで、パキスタンからイラン、トルコ、ギリシャそしてイタリアへ、ただ生き抜くためだけに、仕事を探し、経験を身につけ、知恵を働かせて劣悪な環境を乗り越え、必死に移動した記録である。行く先々での数々の困難、それを切り抜けても安心はつかの間、さらなる困難がやってくる。経験と知恵でまたそれらを突破し、そして仲間の死にも直面する。その過程で善意で手を差し伸べてくれる人との一期一会。この話は、エナヤットッラー本人が語り、作者が書き起こす形になっているが、時々挿入されるエナヤットッラーと作者との短い会話が、冒険物語ではなく厳しい現実を描いた実際の話だという現実に戻される。
 
 主人公のエナヤット少年は、アフガニスタンの山あいの狭い谷底にある小さな村ナヴァ生まれ。彼らには戸籍というものがないので正確な生まれた日にちも年もわからない。アフガニスタン人だけど、ハザラ人という少数民族で、タリバーンの攻撃によって父親が殺された。そのとき(たぶん)6歳。ハザラ人の子供たちが通っていた学校はタリバーンによって閉鎖に追い込まれた。抵抗していた担任の先生と校長先生は、児童たちの目の前で銃殺されてしまった。このままここにいるのは危険だからと、母親は3人の子どものうちエナヤットだけを(姉と弟はおばに預け)隣国パキスタンに連れ出し、生き延びてほしいという願いとともに、そこに置き去りにしたのだ。3日間は一緒にいたが、最後の晩に、3つの約束をして(1.麻薬に手をださない。あやしい誘いは絶対信じちゃダメ。2.どんなことがあっても武器を使わない。石ころだろうが、木のスプーンだろうが人をきずつけないこと。3.盗みもダメ。お金が必要なら稼ぐこと。そして、誰かをだますのもダメ、みんなに優しくして、誰にも腹を立てないこと。)、そして眠りについたエナヤットを置いて帰ってしまった。

 右も左もまったくわからない。知ってる人も誰もいない。言葉も全くわからない。そんな環境に(たぶん)10歳の子どもを置き去りにしてでも、故郷の村にいるよりも安全だという判断は私たちの想像もおよばぬ世界だ。しかし、ある意味で、彼は選ばれし少年だったのだろう。これは物語ではなく、実話だ。

 エナヤットは目が覚めると母親がいなかったので、唯一知っている人である宿の主人に母を見なかったかと聞いてみた。宿といってもそこは生きた人間を押し込むための倉庫だ。密入国専門の運び屋とコンタクトをとるための宿なのだ。そのひとは、母親は出て行ったよ。もう帰ってはこないという。仕方なく、とにかく生きるために仕事をさせてもらいたいと頼み込み、右も左も言葉もわからぬエナヤット少年は、町の様子を伺いつつしばらく暮らすことになった。収入にはならなくても雨風をしのげる寝場所が確保できればなんとかなる。しばらくすると、イランに行くともっとお金になる仕事に着くことができるという情報を得た。そして、密入国専門の運び屋の手を借りてこれから何度も国境を越えることになる。パキスタンとイランとの国境までは普通に路線バス、それからトヨタのピックアップトラックに同じ不法移民が17人も詰め込まれて何時間も揺られて、山中でおろされて、さらに5人ずつに分かれて各方面に連れていかれた。

 そして、イランでの滞在が始まる。実は、結構いい時期でもあった。仕事は見つかるし、ほかに遊びはしないからお金もたまる。イラン国内では、仲間になった者たちの情報網によって、ほかの町に移って働いたりもした。一生住んでもいいかと思うような町にも出会った。しかし、不法滞在の身であるから、いつ警察に見つかるかと、ひやひやしながら暮らすことには耐えられなくなっていった。そしてトルコを目指すことにした。

 このトルコとの国境越えが、凄まじく過酷、劣悪、恐怖の連続だった。長い長いほんとに長く苦しい国境越え。クルド人、パキスタン人、ベンガル人などいくつかの不法移民グループが運び屋によって集められ、その数 総勢77人。徒歩での山越え。山頂に着いた時には12人がいなくなっていた。山を登り切れなくて声もなく静かに死んでいったのだ。そしてそこからさらに何日もかけてイスタンブールに行くことになる。個々の描写は本当に想像を絶する劣悪さなのだ。人間としてどころじゃなく、生き物としての限界をとっくに超えているかのようだ。最後には、彼らの居場所や、どこを通っているかわからないように目隠しをして、運び屋に町に出される。そうまでして辿り着いたトルコだったが、仕事はなかった。2か月滞在したものの結局仕事は見つからず、知り合いになったエナヤットより年下の不法移民の子どもたちとともに、ギリシャを目指すことにした。
 
 文字通り荒波を超えての次の国への不法入国。そして、やっぱりエナヤットは選ばれし子供なのかと思ってしまう奇跡的な出来事が何回も続く。ギリシャで出会ったびっくりするほど親切な老婦人、ヴェネツィアで出会った天使のように優しく助けてくれた少年、イタリアに暮らすたった一人のナヴァ村出身のパヤームを早々に見つけられたことも。

  不法移民と言われる人々がその日常や、危険な国境越えの行程を詳細に伝えているというのは、フィクションとして書かれたものより当然ながら心に響いてずっしりとした何かを残す。その中で、奇妙に思ったというか、感心したのは、全く知らないところから偶然にも出会った不法移民同士のつながりだ。知り合って長くはない彼ら同士の信頼関係。情報網としてもそうだけれど、懸命に働いて貯めたお金を、仲間や違法な運び屋の仲介業者に預ける場面がよく出てくる。盗まれないし、何か月も誰のものだとわかって別な人が保管していたりするようだ。


 この本を読んでいる私たちとは環境は大きく異なるものではあるけれど、ひとりひとり、もしかしたら、生きるとは本当は誰にとっても冒険なのかもしれない。もちろん、その内容や過程は人の数だけ、ものすごくたくさんのバリエーションがある。大部分の人はエナヤットのそれとは違うものだ。でも、エナヤットのように、迷いのない行動力と観察眼を持ち、過去は良くも悪くも振り返らず、そしてなにより、自分の力で考え抜いて経験と知恵をいかして次に進み続ける(エナヤットの場合は安住の地に辿り着きたいという非常にシンプルなもの)、それこそが人生なのだろう。そのように懸命に人生を旅して、その中でどうしようもない困難に出会ってしまった時に、奇跡のような人物に出合うことができるのかもしれない。それはたいていの場合、一期一会、二度と会うことのないそれこそがまさに奇跡という出会いのような気がする。


 この本の原書は、2010年にイタリアで出版されたもので、33ヵ国で翻訳されたそうだ。安住の地で人生の第二章を進み始めたエナヤットはどうしているのだろうとネットで調べてみると、昨年2020年1月の記事があった。エナヤットッラー・アクバリは30歳(昨年)になり、その2年前にトリノで大学を卒業しそこで働いていた。国際発展協力科学(Scienze internazionali dello sviluppo e della cooperazione)で学士をとり、今後それを活かしてアフガニスタンに帰って彼らのために働きたいということだ。

https://m.famigliacristiana.it/articolo/enaiatollah-akbari-ho-vinto-guerra-soprusi-e-dolore.htm