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『アドリブ』佐藤まどか

アドリブ

アドリブ

 主人公のユージは国立音楽院(コンセルヴァトーリオ)に通うイタリア生まれイタリア育ちの日本人。通常の国語や数学などの科目を勉強する後期中等教育校(リチェオ)のほかに、クラッシック音楽を学ぶためこの音楽院のフルート科に通っている。
 彼は10歳の時に母に連れていかれたシエナ市の国立音楽院(コンセルヴァトーリオ)の生徒による演奏に、衝撃的に魅せられた。
 それまでのユージは、ひとりで暇を持て余していることが多かった。日本食レストランで働く母は夜も仕事に行ってしまうし、フィレンツェ郊外の田舎に住んでいるので周りには自然が広がるのみ。長い夏休みには友達はヴァカンスに出かけてしまい遊び相手もいなかった。しかし、フルートに出合ったことで夢中になって打ち込めるものができたのだ。
 フルートで有名なサンティーニ先生のクラスの選抜試験を受けた10歳の時、ユージはまだフルートを触ったこともなかった。その選抜試験では、既にみんな自分のフルートを持って受験しに来ていた。それは、以前ユージが、クラッシック音楽はお金持ちの子たちが親の趣味で習わされるものだと思っていた通りのものだ。音楽院の中では練習時間や送り迎えを含め、親が全面的なバックアップをしている生徒たちも少なくない。
 今回、第一オーケストラに選ばれたフルート奏者は3人。ユージのほかにサンドロ、とマルタだ。サンドロは抜群にうまい。毎日2時間も3時間も練習するのだという。もちろんプロのフルート奏者になることしか考えていない。一方、マルタもユージも毎日そこまでの練習時間はとれないという。10代の彼らは、通常の学校(リチェオ)にも通い勉強や宿題もこなさなければならない。かといって「習い事」レベルの気持ちでクラッシック音楽をやっているのではない。だからリチェオの友達とは疎遠になっていく。
 音楽院では、将来はオーケストラで演奏したいのか、ソリストになりたいのか? という会話も出てくる。ユージもマルタもまだそこまでの将来のイメージはしていない。そもそも、自分にはそんな才能があるのだろうか? 才能ってなんだろう? 努力? 熱意? 覚悟だろうか? それに上達するにはもっといい楽器を買わなければならないという。親にそこまでの負担をしてもらった結果なににもならなかったら? だんだん、音楽をやっている意味が解らなくなり、ただ苦しいだけで、楽しくも嬉しくもなくなっていく。
 第一オーケストラでは、フルート以外の生徒たちとも出会う。みんなから天才と思われている抜群の音楽センスを持つヴァイオリン科のジャンフランコはコンクールでは入賞しているし、一度聞くとその曲を演奏できると言う。自信もたっぷりあるし、生徒たちからは羨望のまなざしではあるが、ソルフェージュは落第していて、先生の目は非常に厳しい。もちろん、ソルフェージュのように正確に奏でることは言うまでもない大前提である。そのうえで、演奏者は表現力という各人のオリジナリティで観客を魅了しなければならない。
 フルートを始めた時のユージに先生が「まず一番大切なのは、姿勢だ。両足をこんなふうに前後に少しずらしてしっかり開いて、背筋を伸ばす。自分の口がフルートにいくのではなく、フルートが自分の口にやってくるように。……」という。
練習していると、だんだん、ユージは「世界にはぼくと自分のフルートしか存在していないような気がした。やがてフルートをかまえている姿勢が苦痛にならなくなると、フルートとぼくは一体化しているような錯覚さえした」と思うようになっていった。
 
 今これを書いている私は、音楽には疎いけれど、スポーツではこの感覚はある。楽器も同じなのかと衝撃を受けた。“自分が”どうにかしてやろうとすると絶対に、できないものなのだ。
余談だが、パウロ・コエーリョの『星の巡礼』最後の第15章にも次のような一説がある。

まず、自転車にまたがり、ペダルを踏み、そして転ぶ。もう一度試してまた転ぶ。(中略)突然、完全にバランスがとれるようになり、自転車をうまく乗りこなせるようになる。これは積み重ねられた体験ではなく、自転車が「あなたを乗せる」のを、あなたが認めたときに自ずと起こってくる一種の奇跡なのだ。

 このように心の底から真剣に、何かに向かい合うという精神性には共通したものがあるようだ。

 その後、ユージがコンセルヴァトーリオを通して、クラッシック音楽の世界に身を置き、羽ばたいていく様子、新たなグループの先輩や先生方との出会いが瑞々しく描かれている。
 クライマックスで、ユージがフルート仲間でもありライバルでもあるサンドロに言い放つ言葉は、非常に心に響いた。私は一生忘れないでしょう。表現するとは……

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 音楽に限らず、絵画や彫刻などの芸術、あるいはスポーツやダンスなど体を使って何かを“表現”するもの、すべてに共通する世界観が描かれているんだと思います。この小説を読んだ若者たちはきっと、個々の夢と併せて必ず訪れる壁を 超えて行く勇気と自信を持つこと、さらに、オリジナリティに磨きをかけることを学んでくれるでしょう。
 また、若者だけではなく、大人にも強烈なメッセージとなっていると思います。学ぶこと・知ることは楽しく、でも経験値を上げるほどに辛さが加わってくる。実はその繰り返しこそが生きることで、いくつになっても続いていく。十人十色の経験はそれぞれが唯一無二であってそのオリジナリティを活かして自分を表現すれば、そこに豊かな日々があるということなのかもしれません。