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永遠に美しいもの——松岡環『レスリー・チャンの香港』

レスリー・チャンの香港

レスリー・チャンの香港

  • 作者:松岡 環
  • 発売日: 2008/03/01
  • メディア: 単行本
4月1日。今年はさすがにコロナ禍のせいで浮かれている人はあまりいないが、毎年エイプリルフールを楽しむ人が増える。最近はSNSが発達したので、プロモーションの一環でもあるのだろうが、企業のサイトなどでもわざわざエイプリルフール仕様にして楽しんでいる人もいる。たわいもない嘘がほとんどで、人を傷つけるような嘘はしないようになっている。だが、この浮かれた雰囲気の中で、毎年哀しい気持ちになっている人たちがいる。
レスリー・チャンこと張国栄のファンたちだ。わたしもその一人である。

テレビスターから映画に出演するようになり、国際的な映画俳優となったレスリー・チャンは、2003年、つまり今から7年前に、香港の有名ホテル、マンダリン・オリエンタル香港から飛び降り、命を落とした。享年46。うつ病からの自殺だったという。理由について、さまざまな憶測が飛んだが、それのほとんどは正しくないというのが実際のようだ。
『男たちの挽歌』『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』『さらば、わが愛 覇王別姫』などで活躍したあと、ウォン・カーウァイ(王家衛)監督の映画に多く出演した。『欲望の翼』『ブエノスアイレス』のヒット作が日本でもよく知られている。
また歌手としても山口百恵の曲をカバーし、華やかなライブ・コンサートを行うことでも有名で、かれの中性的魅力とも相まって、香港・日本のみならず、アジア全域・欧米などでもファンが多かった。
この本は、香港の中国返還が具体化し、香港が中国へ返還された数年を含む25年間を「香港独自の文化が生まれ、最も華々しい輝きを放っていた時期」と定義し、それがレスリー・チャンが活躍した時期とぴったり重なること、そしてかれが「時代に殺された」とし、レスリーの生涯を追うことで、香港で花開いた大衆文化、それを育てた庶民の暮らしを見ようとする伝記である。年譜・フィルモグラフィー・ディスコグラフィーを完備し、レスリーの評伝としても、都市文化史としても読める渾身の一冊だ。
1999年、香港は——少なくとも世界の人々が愛した香港という街は——失われてしまった。
今も一国二制度を保持し、独自の文化を育んではいるものの、共産党当局のしめつけにより、かつてのような自由闊達な雰囲気が失われてしまったことは「返還前」を知る年代の人間には明らかで、喪失がいまも続いていることは、昨年から今年にかけての香港のようすを見ていればわかる。
2003年4月1日。
わたしはネットサーフィンをしていてそのニュースを知った。嘘だろ?と思い、明け方までネットニュースや噂をしることが出来る掲示板をむさぼり読んだ。白々としていく空を見ながら、どうやらそのニュースがエイプリルフールではなかったことがわかった。
かれの死のニュースが、エイプリルフールであればよかったのに、と思った。いまもこの日がくる度にそう思う。
かれはたしかにいた。そして、もういない。
かれのいた街も、かれの知るものとは変わってしまった。
だが、美しいかれの姿は映画やコンサートDVDによって焼き付けられ、今も多くのファンの心を慰めている。そんなファンたちが思い出すかぎり、かれは永遠に生き続けるのである。