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「ある風来猫の短い生涯について」藤原新也

 今日ささげ豆が紹介する作品は、文庫版『動物のお医者さん』6巻。しかも、動物のお医者さんではなく、文庫の最後の解説、「ある風来猫の短い生涯について」です。これは作家の藤原新也さんによる短いエッセーです。
 この本文との馴れ初めは、大学入試問題でした。仕事で大学入試の過去問解説をするために、予習で本文に目を通していたら、愛猫家の私にとってドストライクゾーンな話!! 入試問題ときながら涙腺が緩みまくってしまった、そんなエッセーなんです。
 エッセーは病気のよぼよぼ猫と暮らした日々の中での、猫と筆者の「輻輳した関係」について描かれています。
 詳しくは読んで頂いてからのお楽しみなんですが、ひょんなことから、藤原さん、今にも息絶え絶えな病気持ちの猫と出会い、世話をすることになってしまいます。
本来動物は自然のままに生きるのが望ましい、不用意に猫の世界に介入すべきじゃないと考える藤原さん。ヨボヨボ猫をみたときも「野生の宿命に従うべきだ」と思って放置しようとします。でも、ひょんなことがきっかけで、このヨボヨボ猫に間接的に苦しみを与えてしまったんじゃないかという自責の念に苛まれます。そして思わず、手を差し伸べてしまって、猫が餌付いてしまうんです。そして、猫との短い間の生活が始まります。
 猫を飼うようになったのは、決してその子が可愛いからではありません。それどころか、この猫、病気持ちで家の中に臭い匂いを撒き散らしたり、よだれだらだらたらしたり、欠陥だらけの生き物なのです。こんなボロボロの猫を家に招き入れたのは、ボランティア精神から。そして、このボランティア精神は、能動的なものではなく「ヨボヨボ病気猫と自分の関係性」の中で引き出された慈悲心なんです(ここは私の解釈が入っています)。死ぬはずだった猫は、藤原さんのもとで2年間生き、眠るように息を引き取ったそうです。
 エッセーの最後はこんな言葉で締め括られています。

「死ぬと同時に、あの腐りかけたような臭気が消えたのだが、誰もが不快だと思うその臭気がなくなったとき、不意にその臭いのことが愛しく思い出されるから不思議なものである。」

この「愛しく思い出される」という「猫への愛」を生じさせたのが、藤原さんと猫との「輻輳した契約」だったんです。藤原さんは、猫が病むという犠牲を払うことで、自分に慈悲の心が引き出されたって語っています。決して純粋な愛情とか無性の愛じゃない、複雑な関係。自分のエゴイズムから生じた猫との関係性。そこから芽生え、深まった猫への愛情。これって猫と人間のお話ですが、人間同士の関係性にも当てはまることありますよね。

 このエッセーを読んだ後、昔飼ってた猫のことを思い出しました。21年間生きた愛猫も最後はボロボロのヨボヨボで近くによると臭くて、耳なんて虫にかじられてちっちゃくなってしまってました。……でも、そんな猫が愛おしかったです。
田舎だったので、鶏も飼ってました。その中の一羽の思い出……。最後は真綿のように軽くなって、でも息を引き取る前にうずら卵のような小さな卵を産みました。割ってみたら、黄身はありませんでした。次の日は大雪でした今では少し遠くなってしまった、でも折に触れ思い出す動物との記憶です。

もちろん『動物のお医者さん』6巻、そのものもとても面白いので、是非手に取ってみてくださいね。YouTube動画も作ったのでこちらも良ければご覧ください。
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