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この本で世界を変える——ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』

あの本は読まれているか

あの本は読まれているか

革命に揺れるソ連で医師で詩人であるジバゴの愛と波乱の生涯をかいた名作『ドクトル・ジバゴ』。この1冊の小説の発行をめぐって、アメリカとソ連の「冷たい戦争」がくり広げられる。
冷戦下のアメリカ、CIAでタイピストとして働くロシア系移民の女性イリーナは、スパイとしての適性を買われ、あるプロジェクトに参加することになる。それはソ連で革命を批判する作品とみなされ、出版できずにいたボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』を外国で出版し、国内外にソ連の現状を知らしめること、ソ連国民の意識を変えることを目的とした特殊作戦であった。
一方ソ連にはパステルナークに寄り添う愛人オリガがいた。矯正収容所などで悲惨な経験をするものの、オリガはパステルナークを支え続け、やがてイタリア人の手に渡った『ドクトル・ジバゴ』は発行へこぎつける……。
1冊の小説で、世界を変える。しかも名も無き女性たちの力で。それだけでもわくわくしてくる設定である。
作者ラーラ・プレスコットは偶然にもジバゴの愛人ラーラと同名。聞き慣れない作家名だと思うのも無理はない。この本は作者にとってのデビュー作であり、発売前からオークションで200万ドル(日本円で約2億円)の値がついた、鳴り物入りの作品なのである。アメリカでは初版20万部で発行されたのだという。
新聞で『ドクトル・ジバゴ』が冷戦下でソ連を崩壊させるために利用されたという記事を読んだラーラは事件に興味を持ち、調べたことと想像力でこの作品を一気に書き上げた。そもそもラーラの名前は映画『ドクトル・ジバゴ』のファンであった母がつけたものだという。ラーラはオリガをモデルとしたとも言われている。この運命のようなめぐりあわせは、ラーラ・プレスコットに大きな幸運をもたらした。
「ソ連」「冷戦」といったキーワードをリアリティを持って感じられるのは、もうある一定の年齢以上の人々で、若い世代はこんな時代があったのかと驚くかもしれない。しかし私たちが子どもの頃は「ソ連からミサイルが飛んでくる」「ソ連が攻めてくるから、日本はアメリカに守ってもらっている」などということを噂として、子ども同士が話す……そんな時代があったのである。もちろん当時はシリアスな情勢についてはほとんど知らなかったけれど、ただイメージとして怖ろしい国であると想像していた。オリガが遭遇した矯正収容所のくだりなどは、民主主義の比較的自由な国に育っている私たちにはなかなか想像しづらいが、たんたんと身の毛がよだつような描写がリアリティをもってしみこんでくる。
『ドクトル・ジバゴ』の著者ボリス・パステルナークはこの作品でノーベル文学賞を与えられたが、辞退した(ノーベル委員会は辞退を認めず、授与したことになっている)。
はたして、世界は変わったのだろうか。その後の世界を知る私たちから見ると、たしかに変わった、とも言えるし、本一冊で変わったわけではない、とも言える。しかし、その中で奮闘した多くの人々の人生を描いた『あの本は読まれているか』は、本の力を伝える小説として、読書好きにはおもしろく読まれるだろう。