みんなde読書

慶河堂の読書感想ブログプロジェクト【みんなde読書】のサイトです。

物書きのサガに惹かれてー慶河堂/慶ー

【みんなde読書】の執筆者紹介です。

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メキシコの郷土料理、アステカスープ
こんにちは。はじめまして。
慶河堂店主の慶と申します。コロナ禍を受けてはじめました【みんなde読書】ですが、mArさんにまず参加してくださいまして、スタートしました。ぼちぼちとゆっくりなペースでやっていきたいと思いますので、我こそは!という方がいらっしゃいましたら、是非お声がけください。どんなヤツかわからないと、オススメも信用できないと思いますので、この文を代えて自己紹介としたいと思います。

■慶河堂をはじめたのは?

11月にならまち工房をふらっと立ち寄り、3号室(現在弊店があります、一階の左奥)が空いているのを見かけたときに「あ、やらねば」と思いました。他にも空いている場所はあったんですが、二階だったり天井が狭かったりで、本棚をレイアウトするのは無理かなと思い、今の3号室にしました*1
実をいうと数年前にもならまち工房の他の場所で空室があり、古本屋をやりたいと検討したことがあるのですが、二階だったことと、部屋の雰囲気がやっぱり違う…ということで止めた過去があります。木像建築なので、二階に重い本を置くと、傾いたりしたら困るなあということです。
古物商免許取得のために時間がかかってオープンは2月22日と遅くなりましたが、11月に工房に行かなければ見過ごしたかもしれないし、他の人が入っていたかもしれない。ちょうどいい時期に来て、ちょうどいい部屋が空いていた。だから今の店舗には運命的なものを感じます。
あと餅飯殿や東向商店街など、駅に近い店舗だったら、こんなのんびりやってられないと思うので、自由にマイペースでできる今の店舗が好きだというのもあります。ならまち工房にはいろんな雑貨が売っている店が多く、アトリエとして使っている方も多いのですが、ならまち工房がなければ、古書店を始める気にはならなかったと思っています。

■どうして古本屋?

これは私の年齢的なこともありますが、ふとあるとき「何もやらないとこのまま生きて、このまま死ぬんだ」と思ったんです。しようと思っていたことをしなくては、不本意なまま死んでしまう。その恐怖がありました。で、何をやろうかと思ったときに、とりあえず本が好きだというのは大前提で、私自身いろんな本を読み、いろんな本に救われて生きてきました。
私に本を読むことを教えてくれたのは母でした。本を読むことで他人の人生を生きられること、知らない世界のことを知ることができること、一冊の本に書かれていることは絶対ではなく、他にもたくさんの真実があること……などを教わり、いろんな本を読むことが、自分の視界を広げ、想像力を増してくれることなどを教わった気がします。といっても別に母が口頭でそういうことを言ってくれたわけではなく、ただひたすら本を読んでいる母の背中を見て、勝手に思っただけなんですけども(笑)。母はものすごい本好きで、私なんかより比べものにならないくらい本を読みます。小説ばかりなんですが。
で、私は古い本を捨てるのが嫌なんです。自分は読み終わった、もう家の本棚には入らない、でもどこかのだれかがこの本を欲しいと思っているかもしれない、その人に渡したい、と思い、古本屋が1番いいんではないかと思いました。
私は歴史オタクなので、発行部数が数百とかしかない本を買うのですが、そういう本を買って思うのは、一時期本を所有させてもらっているだけだということです。その本の、長い本の本としての人生(本生?)の中で、一時期だけ使わせてもらう。そしてきちんとした古本屋を介して、またその本を必要とする別の人の手に渡って欲しい。その手助けをしたくて古本屋を始めました。
本当は新刊書籍やZINEなども置きたいんですが、いろいろな事情でまだ出来ていません。東京で暮らしていたときに行ったタコシェ*2さんとか憧れですね。

■どんな本が好きだった?

図書館に入りびたる子だったので、いろいろ読みましたが、子どもの頃読んだ本で1番記憶に残っているのは『ルドルフとイッパイアッテナ』シリーズです。課題図書かなんかで読んだんですが、猫が字を覚えて読書を覚え、世界を知っていく話です。その頃肺炎で入院したりしたんですが、巾着みたいなのに入れて持ち歩いていました。読みたくなったらいつでも読めるように、です。このくせは今も変わらなくて、大好きな本や史料のコピーなどを必ず持ち歩いていますね(笑)。
小学校の頃、親が『学研まんが人物日本史』シリーズを買ってくれたので、それを兄弟ですり切れて壊れるまで読みました。そのお陰で歴史のテスト勉強は高校になるまでほぼやったことなかったですね。それを受けて小学校後半から歴史オタク気味になり、子ども向けの義経記や平家物語を読み始めました。中学になると市立図書館に行くようになり、隆慶一郎先生や池波正太郎、大佛次郎などの歴史小説を読むようになりました。他にはSF小説やマンガが好きです。マンガに関しては昔マンガ情報誌でライターをしていた関係上、おもしろいマンガは見逃したくない派です。
あ、慶河堂の「慶」は隆慶一郎先生の「慶」と、レスリー・チャンの最後の写真集のタイトル『慶』から取りました。勝手に。ええ勝手に。

■ラテンアメリカへの想い

そうこうしているうちに、94年ワールドカップでメキシコサッカーにはまります。色とりどりのユニフォームを着てプレイする変わった小さなゴールキーパーがいまして、その人にハマるかたちで、メキシコに興味を持つようになりました。初めはJORGEでどうしてホルヘになるんだろう、メキシコではどうして英語でなくてスペイン語を話すのだろう、みたいな、典型的な欧米以外の外国を知らない子どもだったんですが、ラテンアメリカというそれまで知らなかった世界の話が飛び込んできました。
それで、メキシコの社会や国民性について書いたオクタビオ・パスの『孤独の迷宮』を読み、メキシコの人ってこんななんだ! と感動しました。そこらへんからラテンアメリカの作家を読むようになりました。その頃からスペイン語の学習も始めましたが、今ではすっかり忘れてしまいました(笑)。うちの店にラテンアメリカ関係本が多いのは、その所為です。メキシコのファン・ルルフォ、オクタビオ・パス、コロンビアでメキシコ在住のガブリエル=ガルシア=マルケスなどがオススメです。

■たとえ死んでもー正岡子規と伊藤計劃ー

日本史はずっと好きで、大河ドラマや歴史物のドラマは必ず見ていたのですが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』がドラマ化したときがありました。そのとき私は病気で家に閉じこもっていた頃だったのですが、死に至る病気になり、耐えられないほどの激痛に襲われながらも、書くことを止めない正岡子規に強い憧れと敬意を感じました。
またその頃、SF作家で伊藤計劃さんという方が居られたのですが、素晴らしい作品を数冊出したきりでお亡くなりになったんですね。本気で書き始めたころはもう余命宣告を受けておられたそうで、そのバイタリティに感動しましたし、憧れもいだきました。
時代は違いますが、この二人の作家の強さ、すごさに憧れ、何かしなくてはと思ったのを覚えています。

■失われるものを世界に留めるために—清少納言・後白河法皇ー

他に好きな作家に、清少納言と後白河法皇がいます。二人とも文学的にも歴史学的にも有名で、重要な人です。
清少納言は『枕草子』で有名ですが、彼女がそれを書いた狙いというのは中身ほどには知られていないではないでしょうか。『枕草子』から見える清少納言というのはよく現代のギャルにたとえられたりするのですが、実際はそう簡単な話ではないんです。彼女は藤原道隆の娘で皇后となった定子に仕えるのですが、当時道隆の弟である道長の娘中宮彰子陣営と争いがありました。そういう背景のなかで、定子という人がいかに素晴らしいかを書き残すために書いたと言われています。政治的には定子にとって大変苦しい時期にも関わらず、清少納言はそのマイナス面を書きませんでした。
また彼女は世界を見つめる観察者でもありました。他の人が見過ごしてしまうような時間の移り変わり、美しいものや素敵なものを当時にしては独特の感性で書き記しました。許せないもの、嫌なものなども書いていますが、現代に通ずる感性でとてもおもしろいです。授業で必ず習いますが、冒頭だけではもったいない。是非原文で全部読んで欲しいです。
後白河法皇は保元・平治の乱や源平合戦の最中に生きた法皇です。政治的にはふらふらとあちこち敵味方それぞれに書状を送ったりして、「大天狗」と呼ばれた人ですが、文学的にはとても大事なことをひとつしました。それは「今様(いまでいうところのポップソングでしょうか)」の記録です。
かれは今様にハマり、喉がかれるまでボイストレーニングしたり、歌の上手い身分の低い人たちを気軽に呼び寄せたりと、天皇や上皇とは思われない破天荒なことをしました。毎日欠かさず歌っていたそうです。でも録音機器のない時代、自分がなんとかしなくては、歌える人も歌詞もすべて消えていってしまう。とかれは今様について書き始めました。それが『梁塵秘抄』や『梁塵秘抄口伝集』です。かれが現代にいたら、うきうきしながら録音器具で現代のポピュラーソングを遺したでしょう。
誰でも知っている歴史上の人物にも、それぞれの書く動機があり、書く狙いがある。消えていくものを遺そうと思う、そういう人が私は好きなんだと思います。

■ライターで武将?!—伊達成実—

伊達成実(だてしげざね)という人がいます。有名な東北の戦国大名伊達政宗の従兄弟で、重臣です。かれも書く人です。前半生は戦に出ていて、人取橋の合戦や摺上原の合戦などで活躍する戦国武将なのですが、もともと書くのが好きだった人のようで、若い頃から政宗が行った戦について書いていました。いったん政宗の元を離れて、戻ってきたりということもあり、複雑な立場の人ではあったのですが、政宗が死んだあとに、政宗についての本を書き記しました。それが今でも政宗研究の基礎的な史料となっています。この人は書くプロではありません。一介の戦国武将で、いわば素人です。しかしかれも政宗のしたことを忘れて欲しくない、伝えたいと思って筆をとったのです。正直いうとプロではなく、整理されていない印象を受けます。
ですが、この人の文章が、私はとても好きです。好きと言っても古文や候文のため、読むのも結構大変なのですが、政宗がどのような人であったか、どのような人生を送ったか、どういうものを好む人だったか、読んでいればわかります。成実本人がどういう人であったかもわかります。プロでなくても、素人でも、どうしても書き残したかった。その気持ちが伝わります。

■書くという孤独な作業

書くことは孤独な作業です。話す・語るだけだと、目の前の人には伝わりますが、そこにいない人には伝わりません。書き記す人は、その人にとって大事なものがどんなものであったかを伝えることができます。その代わり、一人で紙に向かう時間を一定の時間、必ず持たなければいけません。しかし書く人はその孤独に耐えて、時代も場所も越えて、私たちに伝わるように書いてくれたのです。書くことは、時間と空間を越えて読者に手を伸ばしてくれたということです。そして読むということは、筆者が伸ばしてくれた手を握ることです。届いたよということは(相手が歴史上の人物である場合は)残念ながら筆者本人には伝わりませんが、彼らが書いてくれたからこそ、現在を生きる私たちが自力では知ることができないことを知ることができます。
ところで、作家とライターは似ていますが違います。
作家が内からでてくるものを書き記すのと対称に、ライターは世の中にあるもの、存在するものについて書きます。自律的なのが作家で、他律的なのがライター。わかりやすくいうと、紫式部は作家で、清少納言はライターです。上に上げた例で言いますと、伊藤計劃さん以外の人たちはほとんどライターです。世界を見つめ、美しいもの、自分が残って欲しいと思っているものについて書くのがライターです。もちろん両方上手い人も世の中にはいますが。
そして私はライターさんが大好きなのですよね。自分もそうでありたいと思っているのもありますが。

■今後の活動について

古本屋を始めてしまったので、それがまずメインです。よほどの大きさの本屋さんでないかぎり、本はすぐに手に入らなくなっています。最近は特にです。そういう本を、欲しがっている人に手渡すこと、それが古本屋が本に対してできる唯一のことで、それこそが役割だと思っています。
あとここにある本を売る・買うだけの場所でなく、オススメ本について話したり、本についての情報交換などが出来る場になれればと思います。ZINEや自費出版のものなど、置くようにできればと思っています。
ならまち工房という、ならまちの隅っこにあり、駅からもけして近くはありませんが、本好きの人にも、本をあまり読まない人にも、ふらっと立ち寄っていただけるような場所にしたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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写真も好きです

店の情報はこちら。https://keigadou.hateblo.jp/
twitterID:@keigadou/instagramID:@keigadou

*1:現在(2021年6月)も空いている他の部屋がありますので、雑貨店・アトリエなどの使用をお考えの方は是非御一考ください

*2:タコシェ:東京・中野にあるZINEや雑貨などを多く取り扱っている書店 。http://tacoche.com/