みんなde読書

慶河堂の読書感想ブログプロジェクト【みんなde読書】のサイトです。

『ピトゥスの動物園』サバスティア・スリバス/訳:宇野和美・絵:スギヤマカナヨ

ピトゥスの動物園

ピトゥスの動物園

 遅ればせながら、私は最近になってTwitterで知ったこの小説ですが、2006年に出版されて2007年には青少年読書感想文全国コンクール小学校中学年課題図書となっていた本でした。既に多くの小学生に読まれて、多くの読書感想文が残っていることでしょう。(なので私がいまさら感想文を書くのもはばかられますが……)さらに、原作は1965年に出版されていている本です。スペインの公用語のひとつであるカタルーニャ語で出版されていて、特にバルセロナのあるカタルーニャ地方では長く愛されている作品だとのことです。すでに半世紀以上の時が流れています。日本語版も第14刷になっています! それくらい魅力のあるお話だということですね。

 さて、すでに有名なこの本のあらすじから始めます。小学生の仲良し6人組のひとりピトゥスが、10万人に一人しかかからないという難しい病気になってしまいました。スウェーデンまで行って治療しなければならないのですが、それにはたくさんのお金がかかります。町の人たちはみな温かく、チャリティーコンサートなどをして資金集めをしましたが、まだまだ十分ではありません。ピトゥスの仲間たちも、「かわいそうに……」では終わりません。小学生だけど自分たちも何かして資金集めをしよう! とリーダーのタネットが言い出します。絶対ピトゥスに元気になってもらいたいのです。彼の考えは一日だけの動物園を作って町のみんなに楽しんでもらいながら、入園料をピトゥスの治療に充てるというものです。
 仲間たちには一見無理に思えたタネットの案ですが、ぐんぐん引っ張っていくタネットのリーダーシップはかっこいいのです。子供だけで成し遂げたいのですが、神父さまにも相談に行きます。でも、すでにタネットの考えはしっかりしていて、いつもの町のあき地で計画していることや、集める動物の種類もピックアップされています。そこにはトラも含まれていますが、驚く神父さまに「市立動物園で貸してもらう」とさらりと言ってのけます。動物のオリはどうするのか? という質問にもフレミングが「ぼくがつくります」と仲間との連携もできています。実行委員、事務局長、会場係、ポスター作り班など既に計画は万端。神父さまは動物学者のプジャーダスさんを紹介してくれます。

 タネットたちはさらに、仲間を募り、たくさんの子供協力者を集めます。もちろん趣旨の説明もしっかりします。それからは、山にも行って野生動物集めに奔走します。その時は動物学者のプジャーダス先生がいろんな動物の捕まえ方を教えてくれます。でも、思うように捕まらなかったり、ハプニングが起こったりしてドキドキする場面です。途中、「ヒヤヒヤおばけのほら穴の入り口はせまく、中はオオカミの口のように真っ暗でした。」というところは、面白い表現だなあと気に入っちゃいました。 
 これらの捕獲作戦は図解も入っていて最高に楽しい一幕!日本語版に合わせたこの挿絵は読者をお話の中にしっかり導いてくれます。

 そして、いよいよピトゥスの動物園の開園の日がやってきます。プジャーダス先生と同じように、読んでいる私も目が潤んでしまいました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 海外の児童文学を読んでいて何より楽しいのは、その国の人が子供の時から自然と慣れ親しんでいく事柄を子供目線で知ることができることだと私は思っています。大人になってから知識として知ることではなく、小さいころの日常から体にしみこんでいく、文化というと大げさで、慣習でしょうか、それに触れられるという点に面白さを感じます。そこには、ことわざだったり、その時の流行だったりも入ります。日本とは全く違うものも、意外にも似ているものもあったりして感心したり、ほほえましく思ったりしています。

 例えば、このお話に、片眼の犬はわざわいを呼ぶということばがありますが、たぶんスペイン全体ではなくて、このお話の舞台バルセロナあたりでの言い伝えなのかもしれないし、いや、もしかしたら日本のある地域でも同じように言うことがあるかもしれないと思いめぐらせたりしています。そんなことが記憶の片隅に残って、ずっと時がたってから、どこか全く関係ないところで同じような表現を見つけたりして、自分の読書体験が何かにつながるのは楽しいと私は感じています。
 また、このお話が書かれた50年以上も前のバルセロナと東京は、雰囲気なんて全く違うものであったはずなのに、地区の空き地という存在は、きっとその地区のだれもが日に一度は訪れるような場所で、日本でもかつてはそんな雰囲気だったのだろうなと思ったりしました。東京では今はそんな“ただの空き地”がなくなってしまいましたが、例えばその同時代の日本の漫画「ど根性ガエル」やその少し後の「ドラえもん」などにも空き地はみんなが集まってくる場所として描かれています。日々が今よりもゆっくりしていた時代には、遠く離れた国々でも実は似たような生活の一部があったのではないかしらなどと想像したりしました。そんな視点で50年以上も時を経た児童文学を楽しむのも、大人にとって、面白みのひとつかもしれません。