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愛するあなたの足跡を追ってーー『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』ミア・カンキマキ

この本はタイトル通り、一人のフィンランド女性が平安時代の女性作家である清少納言の足跡をたどるために日本にやってきて過ごした日々のエッセイである。
今風のラノベのタイトルにしてみると『フィンランド人女性が清少納言に憧れて京都に住んでみた』とでもつけられるのではないだろうか。
原題は『枕草子』からとられた、『胸がときめくもの』だそうで、たしかに新刊書籍があふれる中で、ちょっとパンチが弱いタイトルではないかと思う。清少納言と枕草子をあらかじめ知っている人からすればにやりとするタイトルではあるが。
私も訳者によってつけられたこのタイトルに惹かれた。
どうしてかというと、知人が数年前からフィンランドに住むようになり、最近になって一度、彼女を訪ねてフィンランドに行ったからだ。紫式部より清少納言派な私は、フィンランド人までも魅了した『枕草子』をちょっと誇りに思いながら、本来買うためにやってきたとある中華SFの代わりにこの本を購入した。
いったいアラフォーのフィンランド人がそんなにも『枕草子』に、清少納言に惹かれたのか?
私もひとりのサッカー選手に憧れてメキシコに一時期住んだことがある。それくらい、憧れとは人生を変えるほどの力を持っている。清少納言は生活と仕事に疲れたアラフォー女性に何を伝えたのか?
とても気になった。


ミア・カンキマキは38歳の広告編集者。自分の人生に飽きている。同じことがエンドレスで続く人生につまらなさを感じている。
そんな彼女が長期休暇を取って奨学金をもらい、日本で清少納言を研究しようと思い立つ。彼女が『枕草子』に興味を持って既に十年間が過ぎていた。日本では知らない者のいない著名な歴史上の人物である彼女について、ヘルシンキで得られる情報はとても少ないらしい。長期休暇が無事取れて、ミアは日本の、京都にやってくる。
正直、くずし字どころか日本語も知らないミアの旅路は研究というほど本格的なものではない。
私の大学にも数人留学生がいたが、彼女らは既に日本語を習得しており、私たちと同様に日本語で課題や論文を書かされていたが、それもそれほど苦にしていないようだった(まあそのうちのひとりは中国人で、それほど漢字とひらがなの文を読むのに苦労しなかったということもあるだろうが)。
ミアは葵祭の女房行列を見たり、定子の里内裏であった場所を歩いたり、十二単体験などをする。十の論文を読むより、一つの体験を彼女は重んじたわけだが、日本語であれば清少納言についての研究には山ほどある。
もちろん彼女がいうように、ムラサキと源氏——当然のことながら紫式部のことだが——についての研究ほど多くはないが、かといってその他の平安女流作家と比べて清少納言がマイナーであるはずがない。日本で最も有名な女流作家のうちの「二人目」ではあることは明白だ。
おそらく日本国中をさがせば、どこかの国文学科で毎年一人は必ず清少納言についての研究をしている人がいるだろうし、日本のアカデミアには、清少納言についての専門家もいる。そんな人に聞けば、彼女が日本在住の間に知ったことは一瞬でわかるほどのことだろう。ネットの発達した今ならWikipediaでさえそれぐらいの情報は得られるだろう。
しかし彼女は徹底的に自分と清少納言との関わりにこだわる。
彼女の文にさしはさまれる、清少納言の原文(英訳されていたものをさらに彼女が訳したものなので、通常日本人である私たちが教科書などで触れているものとは少し違う)は、彼女を奮い立たせ、感動させ、そして内向的な彼女を動かせる。
彼女とセイ——ミアは愛情を込めて清少納言をそう呼ぶ。諾子(なぎこ)であるという説もあるが、それも定かではない。生没年も本当の名前もわからない、彼女が書いた『枕草子』の原文も(いまのところ)どこにもない。そしてミアは日本語がわからない。
何のよすがもないところから、彼女はセイの真実に近づいていく。


正直なところ、それは研究ではまったくない。私は彼女をけなしているのではけしてない。これは、彼女たち——セイとミアとの——追いかけっこなのだ。憧れの彼女に触れられるか触れられないか、それすらもわからないけれど、彼女をただひたすら追いかけた1年の、たったひとりの女性、ミアの記録だ。
読んでみればわかる、彼女のセイへの愛、執着、憧れ、そして悩み。それは研究ではない。


ミア、あなたは私の店にくればよかったのに。
彼女について出ている多くの本のうちの、ほんの数冊だけど、セイについての本を私は持っている。どんな風に本を探せばいいか、どんな風にセイを追いかければいいか、おんなじように彼女を好きな私なら教えてあげられたかもしれないのに。
私は文学部ではあったが、日本文学の研究をしたことはないが、ファンとしてなら、清少納言の追いかけ方を、少しは知っている。
彼女の歌を集めた本も、彼女の本当の狙いを考察した本も、今は彼女と百人一首にとられた歌をめぐるマンガだってでているんだよ。どこかの文学部に行けば、もっとセイの事を知られたのに。もっとがんばってよ。私は彼女にエールを送りたい。日本語を少しでも読めれば、もっと近づけるよ。
そして言いたい。「清少納言って、本当にステキな作家だよね、私も大好き」


作者のミア・カンキマキは帰国後歴史的な女性たちを追った『夜に私が思う女達』という第二作を出し、それは16カ国語に翻訳されているらしい(現在未邦訳)。そして第三作は江戸時代の東京についての本を執筆中らしい。彼女は退屈な広告編集者から、「作家」になれたのだ。憧れの清少納言のように。
この本はフィンランドで出版されると多くのメディアで取り上げられ、「人生を変えたい」と思っている女性たちに勇気を与えたらしい。「これまでしようと思っていたことを実行することに決めた」「物をかきはじめた」「転職を決めた」という書評もあったそうだ。
この本はラブレターだ。ひとりのフィンランド人女性が書いた、1000年前に生きた一人の女性へのラブレター。それが多くの人を動かす。『枕草子』がただひとり、主である定子のために書かれたものであったように、ただひとりへのラブレターが多くの人の心を打ち、行動させる。
私は清少納言へ伝えたい。
あなたが書いたものは、遠く離れたフィンランドの女性をも魅了し、世界中へ広まっていますよ。