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『その時は殺され…』ロドリゴ・レイローサ/訳:杉山晃

その時は殺され…

その時は殺され…

 「恐怖や脅威は、私の小説の主要なテーマのひとつだ。特定の人間に対して感じる恐怖ではなく、見知らぬ環境や状況がもたらす恐怖だ」と帯とあとがきにある通り、よくわからない恐怖や脅威が小説全体に流れている。
 これは、レイローサ本人の言葉通り、彼のほかの小説にも通じるこの作家の魅力で、ミステリー小説のように引き込まれていく。
 私たちはだれでも、見知らぬ環境や状況に魅力を感じて旅に出るのではないだろうか?

 冒頭、人生の約半分を見知らぬ土地や辺境の地で過ごしてきたというイギリスの老作家ルシアン・リーが登場する。
 補聴器を付けないと何も聞こえないのだが、おとなしい老人ではない。その補聴器は、盗聴器でもあるのだ。何食わぬ顔してそれをしかけ(とても小さいのでほんの小さな隙間に置くだけで十分)、イギリスからグアテマラまで出向いて危ない橋を渡ることになる。
 一方、グアテマラ人であるエミリアは、大学で知り合ったエルネストを手玉に取り小旅行に誘う。
 妙な期待をした彼はデートらしい目的地を希望するが、彼女は強引にネバーフという町に行くんだと決めつける。そこで、ルシアンとニナ夫妻に会うのだが、エミリアはどうやら彼らとは過去にすでに知り合っているらしい。彼女たちに巻き込まれるエルネストは、自分のジープでチャフールという町までルシアンと二人だけで行くことになる。
 そこで、その老人は軍のトラックに慣れた感じで小さな盗聴器を仕掛ける。その後、受信機で周波数を併せて何が起ころうとしているのか様子を探る。意味のない音や、わからない言葉が雑音のように流れる。
 暴力? 不正? 何かしらの気配はあるが、はっきりとはわからない。
 
 そののち、イギリスに戻っている夫妻に会いに行くエミリアだったが、どうしてもヨーロッパは自分には会わないと感じる。そしてグアテマラに戻ることにするがその途中で立ち寄ったパリにしばらく住むことになる。
 しかし、しばらくするとニナが、一人で再度グアテマラに向かったルシアンと連絡が取れないと言ってきた。

グアテマラは彼にとって、いつも面倒な事態を意味していた。あの地で最初の妻を失い、あの地で大事な友が、非情なやり方で、まさしく「Guatemalan style(グアテマラ式に)」殺された。

 なのになぜルシアンは何度もグアテマラに行くのだろうか?
 何がそんなに惹きつけるのだろうか?
 グアテマラとはいったいなんなのだろうか?

 そして、エミリアも後を追ってグアテマラに向かう。
 前出のチャフールの風景とはまた違う側面のグアテマラのあやしい一面で、神秘的とも思えるアマゾンのような熱帯雨林の怪しさを間近に感じる。バルガス・リョサの『緑の家』を彷彿させるような場面が描かれていく。

確かにそこは美しい場所だった。だが船のそばの静かな水面で、浮かんでは沈むイルカの群れさえ、そこに住んでいるというだけの理由で、妙に不吉な生き物のように感じられた。

 本文中もわざわざ強調しているのは、レイローサの強いメッセージなのだろう。

 グアテマラの不気味さや恐怖をまざまざと描くロドリゴ・レイローサは、あとがきにあるように(これも帯にも書いてあるが)、「小説家としての私のキャリアにおける最大の事件は、モロッコへ出かけたことと、グアテマラで生まれたことだと思っている」と発言している。

 彼の描く「恐怖」は、グアテマラという国そのものなのだそうだが、一方、どんな危険や困難があっても、かの地に行ってしまうルシアンを描いているのは、恐怖と魅力は紙一重だという意味でもあるのかもしれない。
 私たち読者は、「安全に」グアテマラの恐怖と魅力の旅を満喫させてもらえるなんてありがたい話である。
 
 本文にこんな言葉もある。

 「人は本の中の世界を生きているように感じることがある(と哲学者たちはいう)。飛行機から降りるとき、エミリアもそんな錯覚におそわれた。…(中略)…現実を体験するにはかならずしも肉体が不可欠ではないことを裏付けているのだった。」

「今の自分だって、ルシアンが書きそうな本の中に迷い込んでいるのではないかと思うのだった。ふいにほかの登場人物のことを思い出した。彼らも自分と一緒にどこかの本棚のしかるべき場所におさまっているのだろう。むろんその本棚自体も、空想の産物に過ぎないだろうけど。」

 エミリアの、現実から一歩引いた冷めた視線は、グアテマラの人々の視線でもあるのだろう。
 読書という旅は際限なくたのしい。

 最後に、後半の舞台である怪しいある施設(ホーム)に唐突だが、図書館が作られる。そこに《未来は過去の産物か?》と書かれているポスターを飾った。グアテマラの未来を空想しているのだろうか?
 
 コロナウィルスによるパンデミックで世界は考え方を大きく変えてきている今、未来は過去の産物か? という問いはとても心に訴える(作品は1997年)。