みんなde読書

慶河堂の読書感想ブログプロジェクト【みんなde読書】のサイトです。

先生と居れば春——『漱石先生』寺田寅彦

漱石先生 (中公文庫)

漱石先生 (中公文庫)

寺田寅彦は明治から昭和初期にかけて生きた物理学者であり、多くの随筆を残している。また俳人としても知られる。「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した人だと言われている。
寅彦は熊本第五高等学校時代に、英語教師として赴任していた夏目漱石と出会った。漱石の弟子の中でも最も古参にあたる立場であり、科学や音楽といった分野では漱石に対し助言をしたりしている。弟子の一人というより、助言を求める知己としての一面もあり、漱石が作家として名を高めた後に師事するようになった弟子たちと比べると「特別」な扱いを受けていたようだ。漱石の門弟たちが多忙である漱石に会うことができるのは木曜日に行われる「木曜会」と定められていたが、寅彦はそれ以外にも頻繁に夏目邸を訪れていた。
漱石は熊本五高では英語教師を務めていたが、子規と同居した際松山で本格的に始めた俳句を話題として、漱石と寅彦の師弟としての関係は始まったのだという。漱石のつてで子規に会いに行ったことも記録に残っているが、かれが師として仰いだのは、生涯を通じて漱石だった。

先生と話して居れば小春哉

寅彦の夏目漱石への敬愛はこの一句を見るだけで容易に想像できるだろう。
憂鬱なことがあっても、漱石に会えばそれも無くなってしまう、まるで恋人に会うかのように通った、と寅彦はつづる。

優れた作品であれば誰でも先ずその中に自分の世界の反映を見出す、そうしてその世界に隣る今まで知らなかった世界を教えられ、いつか自分の世界がその方へ広がって行くのに気がつく。
————岩波書店『普及版漱石全集』昭和3年より

俳句とはかかるものぞと説かれしより天地開けて我が眼に新

この文章と俳句を見ると、寅彦にとってどれだけ漱石がまばゆい存在だったかがわかるだろう。漱石はロンドンから帰国した後、ホトトギスを主宰していた高浜虚子の薦めによって小説を書き始め、『吾輩は猫である』でデビューし、その後多くの人気作を執筆して国民的作家になったが、寅彦と出会った頃は——俳人として句を載せられてはいたが——一介の英語教師であった。
人と人が出会い、今まであった世界の色さえ変えてしまうほどの出会いを運命と人は感じるのではないか。「天地開けて」「眼に新」という表現から、漱石と出会った際に寅彦の感じた世界の「変容」がどのようなものであったかがわかる。モノクロの世界がフルカラーに変わってゆくような、今まで見過ごしていたものがキラキラと輝きはじめるような、そんな体験を、寅彦は漱石に出会ってはじめて知った。物理学の師は他にいたようだが、人生の師といえるのは漱石だったのではないだろうか。
この本には、漱石の個人としての思い出の他に、漱石の俳人としての評価などが載せられ、わたしたちが現在よく知る小説家としての漱石以外の顔が浮かび上がってくる。寅彦は、漱石の死の直後は漱石についてあまり語りたがらなかったという。しかし、さまざまな人の漱石評を聞いているうちに自分が見、接した漱石を伝えるために、これらの随筆を残したのだと述べている。
敬愛する人を喪った哀しみと、唯一無二の人に出会えた歓びに満ちた、切ないけれども心が温まる一冊である。